随分昔に廃線になった水戸電気鉄道。
とっくの昔に廃線になり、跡地はいま残っていません。
下水戸の駅から先は、20年くらい前から建て売り住宅として整地され始めました。今は閑静な住宅地になりまして、ときどき自転車で走って廃線跡がどこか痕跡を探しているのですが、いままで全く見つかりませんでした。
水戸市街を抜けて谷地を上がる場所です。明治の電車ですからきつい勾配はのぼれないので路線跡が台形に残っていると踏んで居ます。お寺の下にある駅は線路跡が残っているので分かるのですが、谷あいの登坂場所がいままで特定できませんでした。
たまたまネット上に当時の路線図があったので、グーグルの航空写真と合成してみました。画像ソフトで斜めにして縮尺を合わせてと。
おお、やっぱり、あそこだ。
谷あいの住宅地に1カ所妙に平らな場所がありまして、下った下に谷と平行な道路があるんです。先週たまたま通ったときこれはおかしいなとアタリをつけていました。
あれが正解なら、その先も谷の南斜面をトコトコ走っていた筈。合成した地図を透過にして、ジフ・アニメ化して確かめてみました。すると見えなかった場所がいくつか。うむ、宅地の中に道路として残っているかも知れない。
谷を登りきったあとの線路跡はほとんど住宅になってます。
こちらは谷地の造成地に比べて古く、敗戦直後からこの状態なのでしょう。
電車が通っていた場所は廃線後もっぱら平らにして住宅地や道路になります。水戸電気鉄道跡は戦前戦後の区画整理と農地解放(農地改革)でそれほど残っていないと思ったのですが、谷の中とか林の際などは開発されずにそのまま温存されています。
廃線跡を宅地とした場合、他の住宅と並びが異なります。航空写真で上から見ると、他の住宅と違ったリズムで一直線に並びます。それが何を意味するか知っていれば、廃線跡を地上でたどれるでしょう。
茨城交通水浜線 (RM LIBRARY(63))
こちらは昭和の路面電車です。
鉱山電車むかし話―無賃電車が走った町・日立 (1985年) (ふるさと文庫)
日立鉱山の鉱山鉄道。こちらはもっとわかりやすい形で残っていると思います。
農地改革 – Wikipedia
蟹工船から保守支持へ。