27時間テレビ

テレビがどうつまらないのか論理的に考えようとしましたが、つまるかつまらないかの違いはセンスの問題で印象を受けているワタクシの問題でございますので説明が難しい。ピーマンが嫌いなのはピーマンが苦いからで、苦い野菜が嫌いなのは苦いから。

このロジックにたとえばこのあいだの27時間テレビを当てはめてみましょう。

27時間テレビがつまらないのは27時間テレビがつまらないからであって、つまらないテレビがつまらないのはつまらないから。

まったく説明になりません。

どうしてつまらないかの部分を説明せねば。共通認識として、つまらない部分を書き出して、だからかくなる理由でつまらないのだと言えて初めてつまらないことが証明できます。

そう。証明なのです。つまらないものを証明するにはつまらないの条件を満たせばよい。

まず、間延びしてました。何をしているのかよく分らない。たとえば27時間ではなく、密度を濃くして3時間スペシャルにしても恐らくつまらないままでしょう。それは間が悪いからではなくて素材がダメだから。

清水ミチコさんのユーミンのモノマネのところはすごくよくて、どうしてユーミンがでてるのだろうと勘違いするくらい完成度が高かった。あの品質で27時間ぶっつづけでできればきっと面白いものになるでしょう。

つまり、清水ミチコさんがずっと27時間テレビで出続ければ良いのです。

しかし、清水さんはそんなに長く出てくれません。

でてくれるのはなんだか分らない塔の立ったお笑いの人です。ぐるぐるナインティナインの青山通りを使った体操競技の回は、いま思い出しても非常に面白い回でした。ただ、あとで渋谷警察署にすごく怒られたらしい。道路標識で池谷兄が鯉のぼりのように横にぶら下がったり、歩道橋から飛び降りたように見せてとなりの通路に飛んでみたり、いろいろやり放題でした。彼らが体力を取戻し、池谷兄もギリギリガールズと結婚してた時期くらいの運動能力があればきっといまでもできるはず。書類送検を覚悟でやってくれたらきっと面白くなりましょう。

警察に捕まるくらいのことをすると面白くなります。面白いとういのが、普段の日常生活のなかの平穏部分から外れたところにあります。きっと驚いたり悲しんだりするのと同じ非日常の場所に笑いがあるのです。

笑いがふだんの心持ちから外れた場所にあると仮定します。すると、お笑い番組を作る人は日頃やや反社会的な、平穏から外れた場所にある何かを常に考えて生活することになります。それはきっとふつうの日常生活では飽き足らない人です。

テレビ局勤めで落ち着いてしまった人や、難易度が高すぎる選抜で人材がこなれてしまうと、中にいる人の反社会性や静穏をツマラナイと思う割合が減ってしまいます。

すると、ふつうの人ばかりがテレビ番組を作ることになり、できあがったものが普通のものになります。テレビの企画というものは少々頭のおかしいくらいの人が混ざっていないとものになりません。普通に作ったら今年2015年の27時間テレビくらいで落ち着いてしまいます。

テレビに出ていた人はきっとお笑い芸人さんのようでしたけれど、きちんと人を楽しませる芸を持っていたのは清水ミチコさんくらい。その他は「面白いこと」がどういうことなのか分らないまま大人になった人たちが、たまたまテレビの仕事をしているだけと考えると辻褄が合います。面白いはずの芸人に指示をだせばテレビ番組ができあがるとする仮説で作られているのかいまのテレビです。私が子供のときに見ていたのは、もうちょっと頭のネジが二三本外れていました。

工作好き