肥後が熊本、豊後が大分です。
「平成熊本地震」と「平成大分地震」の名が順当でしょうか。
大分で起きた地震を「慶長豊後地震」といいます。文禄5年がやたら地震の多い年でしたので、元号を変えて気分も変えようとういことで「慶長」と変えています。だから文禄5年は5年しかなくて、地震の多くは文禄5年地震であり「慶長地震」となります。
慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震の順番で発生します。
慶長伊予地震、四国愛媛の地震は、私が読んでいる本(2005年刊)によると日月を記した紙の資料がなく、穴(トレンチ)を掘って年代測定をすると断層が動いたあとがあり、
昔の言い方なら 豊後-伊予-伏見
今の表記ですと 大分-愛媛-京都
と地震が連動したとされています。
2016年4月の地震が、そのままどこかと連動するとは限りません。ただ、文明の利器として防災科学技術研究所 強震モニタをみていると、家にいながらにして連発する熊本の地震の揺れる場所が左右に動いていることが動画でリアルタイムに分かりました。
ずっと南海トラフを怖がっていました。
二日後夜中のニュースで地元の方へインタビューしている映像をみたら真下から突き上げる地震は尋常ではなく、おばあさんが倒れ込むほど。私も東日本の時は家の庭先で尻餅をつきました。あのときは振動がひどくて仕方なくしゃがんだ形でしたが、熊本のおばあさんは前に倒れるように、突き倒されるように転んでしまったので揺れの質がちがいます。いま手に入るデータをみると、1280ガルで横ずれ断層です。1ガルは1秒間に1センチ動くことですから、1秒間に1280センチ、1.28メート足下の地面が動いたことになります。場所によるし、向きが水平の一方向とは限りませんが、1秒で何十センチも動いたら立っていられません。
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Ryusuke IMURA(@tigers_1964)さん | Twitter
大分県の地震・津波 – 大分県ホームページ
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