進学率が伸びたら偏差値がアテにならない

1989年に25%ほどだった進学率は、2009年ではなんと50%を越えているという。(中略)偏差値で言うとこのソースの標準偏差は16.6、平均は当然50なので、計算すると62.8から58.1に落ちたことになる。実に4.7ポイント。
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進学率が伸びたら偏差値がアテにならなくなりました。

偏差値というのは横浜だかあのへんの理科教師が使い始めた相対評価です。

なぜ偏差値が必要だったか

たとえば今年の二学期中間試験の数学の80点は去年の同じテストの80点と単純に比較できないからです。テストというものは毎回出題範囲と内容が変ります。そこで出てきた点数はテストの難易度に左右され移ろいます。君は5教科で400点だから何とか高校に入れるぜ!とは保証できないのです。

そこで偏差値の登場です。偏差値は全校生徒の人数、点数に左右されません。全体のウチのうちどのぐらいの割合なのかが見えるため、勉強の出来不出来を客観的にみえます。

偏差値自体がおかしくなることはありませんが、なんとなく自分の世代の偏差値と、いまの同じ偏差値の価値が違います。大学名と優秀さが釣り合ってない印象。

大卒初任給20万円、偏差値58の大学を出た人の能力が、なぜか今と昔では大違いこの人はどうやって入学試験を通ったのだろう?と思う人物に会う機会が増えてきました。

原因を理解したくなって、図を作りました。

総人口に占める大卒の割合と、男女比、世代総数についてのグラフです。

白い線の上が、いちおうの大学進学率の割合です。
数字は以下のサイトを参照。
大学進学率
性別、高等学校・大学への進学率:1950~98年

ゆとり世代は優秀である
ゆとり世代は優秀である

総人口を横幅とし左から団塊世代、バブル世代、ゆとり世代と並べました。団塊は60代でもう引退。バブル現時点での40代後半から上。ゆとりはいまの20代の新入社員くらいに考えて下さい。

母集団を同じと考えた図です。大卒というだけでとりあえず赤い。赤さが優秀さを表すなら団塊の大卒はまっ赤だから優秀。バブル世代もまあまあ赤いですね。

団塊の大卒者の分布はこんなに単純ではなくて、もうちょっと上下に分布しているはずです。ニュータウンの土地持ちのドラ息子が進学して、秋田の高校生は東京に出て就職していますから単純に大卒が優秀とは限りません。

人数が左から右に1/3に減っていますので、優秀な人物が1/3になったと考えてよろしいかと。基礎の教養がある人物が1/3になればたとえば人手の必要な産業から疲弊していくでしょう。

右から左

今現在から逆にみてみましょう。単純に人数が三倍です。夕食のコロッケを取り合った世代ですから、たぶんアクの強い人が東京に出てきて成功したのです。

コロッケを取り合った世代の声が大きいので「俺たちはコロッケを取り合ったぜ!」「コロッケは俺のモノだ!」ってうるさいのですが、マッシュポテトを揚げたものはいま、そこまで取り合いになりません。

好きなだけコロッケ食べ放題、自分の分のコロッケは皿に盛られる世代からすると、コロッケの取り合い自体が不毛に見えます。

力関係でコロッケ争奪世代が上にいますので、体育会の人は「コロッケを取り合うべきっすよ」と愛想くらい言うでしょう。まあ、そいういう会社は常にコロッケを取り合う人たちで構成すればよろしい。

大卒が優秀とは限らない

図にしてみると、図の通り現実が動いていないことが分かります。だから考えたことがあんまり役に立ちません。

単純に世代を跨いで優秀さが引き継がれるのかは疑問です。たしかに昔の大学進学率が低くかったのは爆発的な人口増加を前に大学の数が増えなかったから。いまでも私立文系はイラナイという人が結構いますけど、18歳を労働力として使いたい企業と、企業が育つとえらくなった気分を味わえる官僚と、税金が増えるとうれしい当時の自民党の田中と岸あたりの都合からすればたしかに私立文系の大学なんていらないんです。どんどん加工貿易で工場を作りたいのですから。

人間というものは放っておくと何十年も生きてしまいますので、近視眼的に5年後に国体があるから選手を育てよう思ってどうにかなるものではなくて、もっと長い目で見るべきなのですが、どうもいまの時代10年単位どころか四半期単位で物事をみているように感じます。

困窮すれば深みがなくなる

プロレスラーが大臣になるくらいの国ですと文化、文系、社会科学は金にならないから切り捨てたいのかもしれません。ものごとはそこまで単純じゃあないでしょう。どうしてうすっぺらい時代なのかなあと考えてみますと、もしかすると母集団の変化があったのかもしれない。

上の赤いグラフは18歳人口を時代ごとに並べています。前提は母集団が同じであること。中にいるひとが同じであれば、まあだいたいこうだろうという意図がわかってほしいための図です。

団塊は褒めるわけではありませんけど、上位層も数が多くて、景気もよくてそこそこ優秀な人物がたくさんいて他の国に勝てました。隣の韓国はずーっと軍事政権でしたし、東南アジアも不安定で経済どころではなかった。アメリカの核の傘の下で軍事費はわずかに北米向けに加工貿易をして強いアメリカドルをもらって暮らしてきました。

その暮らしができなくなって、まわりの国が技術を伸ばてきたのが現在の日本です。だからあの赤色も、団塊世代のときはあのままでいいけれど、アジア圏が伸びてきた今なら他の国との比較もあってもっと下に下がるかもしれない。

すべては金とは言いたくないけれど団塊の金で育った団塊ジュニアとしては、親世代が次の世代につぎ込んだ何かがあったわけで、ゆとりはかわいそうだけれどゆとりの親世代(私も含まれる)がゆとりな彼らになにができたか。

おそらく、何もできなかったのではないか。

少子化で未婚率が上がるということは、次の世代に渡すバトンがなかったということではないのか。であるならば、バトンが廻ってこなければ次に回す理由も無いわけで、自然なことです。

あらためて上のグラフを見直してみると、いちばん優秀なまっ赤な子は男女問わずGoogleとかに就職してそう。官僚になるのは昔はまっ赤だったのが、いまでは2番手のオレンジチームかもしれない。