物置を撤去したのが真夏の盛り。それ以降なんだか疲れが取れません。物置残骸の撤去で計4日は取られ、休日も作業したので疲れたんです。
いまようやく休み。
頼んでおいたマンガ雑誌が届きました。浅野いにお特集で対談がどうしても読みたかったので取り寄せ。
『この人に、この人生あり!』 第5回:半径3mの世界から始まった「マンガ研究」浅野いにお(漫画家) – コラム : CINRA.NET
同じ茨城なのに、水戸はまだ封建的。つくばはちがうそうな。
いまはまだ気力がなくてそのまま積んでます。
普段マンガはいっさい触らず。
さいきんのまんが雑誌をめくってみたけれど、なんとなく予想はしていたけれど読めない(笑)まんがというものは訓練によって読めるようになるので、たとえばジャンプ育ちの孫と、旧世代のマンガを通過しなかったお爺ちゃん世代は、マンガを認めるかどうか以前に読めないのではないか。
昭和のPTAやら教育者は、自分がマンガを読めないものだから、安易にマンガを非難できたのかもしれない。
私も読めない側。
なぜ読めないのかというと、私が使っている映像に関する「文法」が古いから。
私はマンガより先にテレビで映像を見過ぎたため、画面の作り方に無意識にこだわりがあります。40過ぎるまで、こだわりに気が付きませんでした。ステディカムの映像が欲しくてムービーカメラを触りだしてようやくわかったのが、映画はカメラマン次第だということ。
しかも好みがわりと映画創世記から1900年台の文法であるため、2000年代のマンガ育ちのマンガ家が描いたマンガがなんだか読めないのです。
そう、絵が腑に落ちない。
活字育ちでもあるのですが、そっちはあんまり影響はなくて、たぶん画面のコマワリとかそういうのがダメ。1970年くらいまでのはたぶん大丈夫。こないだ白土三平のコマをみたら格好良くてシビレました。
映像はミュージックビデオがダメ。ミュージックビデオ出身の映画監督が撮ったのも、だめです。シンゴジラは意図して古いカット割りをしているので好感触。
たぶん、マンガのカメラ位置がよく分らないから読めないのかもしれない。
昔好きだったアメリカのテレビドラマがあんまり好きすぎて英語版のまま観てますが、英語力は乏しいのに内容がよく分ります。これは映画力が高いため、映像の意図からセリフがわかるから、言語なんて関係なくなるのです。
シナリオを言葉で起こして、言葉にあわせて映像を作った映画は大丈夫。ドラマも同様。古いマンガもネームが先にあってコマに意図があるのは読めます。
問題は感性で描いたような、地の部分に言葉がないものが苦手です。言葉に繋がらない画面というものが苦手なのだと考えられます。
今のまんがはいまのまんがでふつうに読んでいる若者がいるのですから、新しい文法で動いているのでしょう。
だから、相容れなくてもそれはそれです。
あなたは新しいタイプですか?
「ミッションインポシブル」の1が好きなら古いタイプ。
新しいMIxが好きなら今風です。