文系と理系の分岐点

文系と理系はどこで別れるのか。

わたしはときどき理系だと思われるが、完全に文系である。高校生のときになんとなく気が付いた。

大人になって、理系と親しくなってよくよく聴いてみると、私が数学が分らなくて文系に進んだように、理系にも苦手な科目があるんだそうな。

何だと思います?

国語です。

国立の工業系に進んだ人で国語のうち、小説がだめなのだそうです。たまたまその人が「小説の読解が出来ない」だけなのかもしれませんけれど、そこから類推するに「理系は小説が解けない」のかもしれません。もちろん文系理系を跨げる飛び抜けて優秀な人も沢山いると思うんです。

小説が読めないとういのは定義としては曖昧さが残ります。「小説で点が取れない」ことが苦手意識の第一歩。次いで「小説で点を取る練習方法がないこと」が、嫌いなのだと言ってました。

視点が作家、読者、出題者と3人居て、三者三様の解釈をしていますから3人分気を使わねばなりません。数学のように正解や証明が利かない点は、苦手意識を持つ者からすれば嫌う原因になるでしょう。突き詰めれば答えの定義が曖昧なことがイヤなのではないか。

そこからさらに、時系列、主人公、脇役の背景、演出意図など汲み取ることは、言われてみれば面倒臭い。そこまで勉強したとして、定義があいまいであれば試験のときに出題者との相性次第で得点が激しく変化します。たしかに、あやふやなもので自分を試されると気分は悪くなります。

翻って自分がどうして数学がわからないのかわかってきました。圧倒的に情報量が足りない。

理系からみると、たぶんこんなコトではないか。

「夏服のショートカットの女の子が残していった短い手紙から、受け取った主人公の気持ちを答えなさい」

作家の設計と演出意図を見抜いて、出題者が学生に要求する読解力のレベルを推測し、そのうえで小説を読んで、わざと間違えを組み込んだ4つの選択問題から正確な答えを見つけてマークシートを塗る。

このとき、私は読むのが早いし出題するジジイたちは結局いつまでたっても麦わら帽子が似合う白いブラウスの少女が大好きだよなあ、いやだなあ、さて、道徳的に学校の教員になるようなマジメな大人ならこう答えさせたいだろうなあ、だから「主人公との別れを感じつつ、出会えたことに感謝する」だなと、「3」を塗りつぶして当てるわけです。

この、出題者がジジイだからからの一連の流れが、数学にもあって、理系の彼らには見えて私にはまったく見えない。