夢見がち

ニンニクをいただいた途端体温が上がって好調。そのまま睡眠。

毎日夢は見ているが今日のは鮮烈。H書房の社員食堂でごはんをおごってもらうという、整合性もないしそこに行く予定もないので正夢にはならないだろう夢。

暇なとき、撮影機材についてあれこれ考えると楽しい。いまはストロボとスタンドを買い足すか悩んでます。でも買ってもまあ使わないので今回は買わない予感。家にそういう道具が結構あります。

カメラじゃありませんが、アルミの引き抜き式のリベット。これは使うだろうと買ったのに一度も使ってません。こういうの多い。レンズに付けるフィルターも、まあ使いませんね。うまく使うと滝の水しぶきを流れるように表現できるのですが、年に何回滝にいくのか。

あとは重たいレンズ。これもなかなか使わない。いまはなぜか一番安いレンズになりました。カメラボディも古すぎて使えないくらい古いのを使ってます。さすがにそれ一台では心もとないので予備機として新しめのEos Kissも持っていきますけれど、一応持って歩いてるだけで重し。

35ミリ相当は全然使わず。広すぎるとなにがなんだかわからない写真を撮ってしまいます。テーマとか主題がない。

どうしてなのかなとずっと考えてきました。たぶんビジュアル、そう見た目に対する感性が鈍感なのです。だから写真に対するセンスみたいなものが足りない。いい写真と悪い写真の区別がぼんやりしてて、何をもってよしとするかが撮ってる当人がわかっていない場合が多いので、写真もそれなりになります。

このままではよくないだろうと、自分の好きなものはなんだろうと改めて写真なり写真集を見直すと、なんとなく好みの方向は見えてきて、いまはそれに従って撮っていますが、ただそれは昭和のグラビアだったりフィルム時代の色味ですので、最新のカメラで若い人が撮っている写真とずれてしまいます。カメラを最新に更新してオートで撮ればそれなりに撮れるのでしょう。いや、おなじには撮れないか。

写真も感覚で撮るタイプではなく、写真集より活字媒体好きなので、理屈で撮ろうとするのがよろしく無いのかもしれません。かといってほかの方法をしらない。