視覚と行間

千波湖の北側、千波大橋の下の工事がいつのまにか進んで、駅前から折れずに岩間街道につながりました。

道なりに進んでいたら、いつも左手に見える建物が右目に飛び込んできました。

疲れた頭が理解するのに3秒。

得心するまで5秒。

私の頭と心には2秒の時差があります。

まったく別な話ですが、視覚情報にこだわるカメラ仲間がいます。私はあまりこだわらない。

人物を撮影するときにポーズを付けるかどうかの議論をしました。

ポーズを付けない私としては、この差はどこにあるのかなと、議論ののちぼんやり考えてみたのです。

付ける付けないの差は、もしかすると「人」をどうとらえているかの差ではないか。

間を飛ばして端的に分けると、読んでる本が「マンガ」なのか「活字」なのか。ここに大きな違いがあります。

わたしは活字派です。人を人としてとらえるときに文章で起こしてもいいと思うのです。

視覚情報重視、マンガ育ちの友人は、見た目に断然こだわります。

わたしは、行動で個人を捉えてもいいと思うし、個人の見た目には余白があっても構わないと考えます。だから人を棒立ちのまま撮ってしまいます。

マンガ育ちの人はポーズを付けたがります。それは、棒立ちのなかには情報がないと考え、情報を伝えるにはもっと適した視覚に訴える要素があると考えるのでしょう。

それは、食べものなら好物が違うくらいの大きな差です。

写真の好みにも、大きな差がある。覚えておきます。