すべてはノリ

お腹が空かない。昨日もらった仕出し弁当の残りは、ブリの照り焼きがとてもおいしかった。まい日お正月らしい肉食系油脂の濃いものを食べているから、出汁の効いた昆布巻きはありがたい。茨城中央部の田舎の味付け。海に近いから塩気は他所より強いかもしれない。

水戸と銘打った「インスタントそば」ができました。これがただしょっぱい。関西の出汁とまるで違います。正月関西に嫁いだ友人に送ろうかと思いましたが、当人以外喜ばないし、そもそもそ当人が喜ぶかもあやしい。正月にカップそばもなかろうと送付は未遂。

ときたま水戸の人がうっかり九州の人とくっついて、うまくいかない話を聞きます。きっと九州嫁の甘い醤油文化と、ただ塩辛い北関東三各文化圏のズレが二人を引き離すのではなかろうかと。

お正月はもうおしまい。仕事行きたくない音頭を踊っています。

家でよまないといけない本がたくさんあるので、会社に行きたくありません。せっかく日本の先の戦争の原因が見えてきたのに。ずっと現代からさかのぼって、わたしから見ると祖父の世代にあたる人の手記や戦中日記を読みましたけれど、戦争には連れていかれたけれど始めていないので、わたしの知りたいことは書いてなかった。根拠のない戦争にうっかり付きあわされたほうは、戦後ずっと恨んでます。

いちおう陸軍の動きを追いかけてます。ただ、派閥とか出てくる将校の数が多くてすごく見えにくい。

戦争の端緒。これが、別の側面から見るとわりあいと単純な仕組みで、実はあれはノリで始まってしまったのだなと思うに至り候。戦争を始めたときの根拠がどこかにあってもうすこしマシな理由があると思っておったのに、そんなものは無くて。いいのかな?と疑問が残ります。答えが根拠も論拠も薄いただの「ノリ」では、だれも浮かばれません。

戦争の他にも、みなくてもよい歴史を掘り返しております。

—1944年まで結核患者数を公表していた政府ですが、あんまりにも増えたので以後非公表。

中の人達はいまも昔もおなじ。

東京アラートみたいな赤いライティング。ブルーインパルスの飛行。たとえば、南方の戦場で弾が欲しいと補給を打電したときに、なぜか代わりに曲芸飛行が来た気分です。弾くれないのに赤くライティングされてもうれしくない。「かるた」を思いついた人は面白いけれど、本気なのかなあ。