みんなが行く方に行かない

日曜日寝てます。毎週おなじことを書いてる。人生は繰り返し。

今週は読書の日々。鉄道には興味がないのに、たまたま戦後三大ミステリーと呼ばれる鉄道事故について調べてました。学生時代の宿題みたいなものです。

松本清張 日本の黒い霧

そんな、余計なことをしていたら、台湾の鉄道で列車事故。線路を引っ剥がしたと思いましたが、作業ミスでした。

台湾の東部は山がちで狭軌の鉄道を使うので車両は日本製のはず。最初の写真を見たら見なれないドア。ドイツ製かしらとおもいきや日立笠戸製とのこと。

空飛ぶ冷やし中華 全日本冷し中華愛好会
当時の文化人が出した本。全中連という全学連のパロディらしい。もういま、その元ネタがわからない。

学生運動のまえに労働運動があって、労働運動の前に戦後の貧乏がありました。

貧乏なときにドッジ・ライン – Wikipediaで労働者の首切りをしたため、反動で市民運動が盛り上がりまして、この部分がまず、説明されてもよくわかりません。

敗戦からたどりましょう。戦後の公職追放。仕事がない。GHQが来て、焼け野原からの復興開始。そこで緊縮財政のドッジ・ライン。初めて何か理解できました。いまと似てる?

緊縮はお金を使わないことで、そうだ社員の首を切ろうと決定。国鉄はまだJR以前の国の機関だから公務員の定員に関する法律で首切り。そこで発生したの上記の三大ミステリー、下山、松川、三鷹の鉄道事故です。

経済が不安定になりましたといわれても、はあそうですかと、額面通り受け取るしかありませんが、うっかり「鐘の鳴る丘」という戦争孤児のドラマをちらっと見てしまって、ああ日本の貧乏はここからはじまるのかと理解してしまいました。

戦争がどうして始まったのかはずいぶん前に調べてましたから、そこから終戦、貧乏からのテロ、組織の暴走、立てこもり、ハイジャックなどが繋がりました。

そのとき、もしわたしが生きていたら、デモに参加したかしら?と想像してみましたが、不景気だったらきっと就職しないで野垂れ死んでるので、デモには参加しないでしょう。

つぎに60年安保になったときに、デモに参加したかどうか。参加した人たちのリストを眺めてもシンパシーは感じない。むしろ、反安保に反対する人に親しみを感じます。それはただの保守ではなく、みんなが盛り上がることに参加するのはバカバカしいと考えるへそ曲がりの精神の発露です。わたくしはたとえば昭和25年に生きていても、きっと立派なへそ曲がりになっていたので、デモには参加しません。

みんな中止すると思っているのでしょう?オリンピックが楽しみでたまりません。ぼくはこころが清いのです。