宮崎論

うっかり思いついた宮崎論を残しておきます。

赤毛のアンで高畑演出に飽きた宮崎駿が、2丁拳銃で暴れまわるアンの落書きをのこして10話目ぐらいでカリオストロの制作に寝返ったのは1980年でしょうか。

高畑はアンでもなんでも男女を描きます。宮崎はどうでしょう?カリオストロの城を思いだすと、クラリスの描写が極端に少ないことに気が付きます。

ふつうの演出家なら、ものがたりに厚みを保たせるためにクラリスの描写を増やすはずです。守るべき人として価値を高める必要があります。それが極端に少ない。

ルパンシリーズの定形があるので、ルパン側の説明は一切不要なのに、クラリスの説明時間がないのです。それは、高畑演出にうんざりした反動なのか。もともと宮崎が心理描写をしないことを決めているからなのか。

ナウシカはどうでしょう。女の葛藤の部分は皆無に近いですね。それは原作にくらべて尺が短いからだけではなく、宮崎監督の演出スタイルのような印象を受けます。

風立ちぬを見ても、ヒロインの内面はまあでてこなくて、わたしは若い時はまったく気にもしませんでしたが、あの監督の映画は人物描写がとても平板ではないでしょうか。

配下の腕のあるアニメーターに書かせてるけれど、絵で心理を描かないというか、心の葛藤の幅がせまいというか。あっさりしてます。

そう、ヒロインが文句を言わないのが、宮崎作品の特徴かもしれません。

おなじジブリでも原作あり監督別人の「海がきこえる」では、ヒロインは泣きわめくし文句は言うし葛藤があります。先日、「海」のヒロイン武藤里伽子のセリフを暗記して再現できる人と話していて気が付きました。ジブリ作品でも、非宮崎作品ならヒロインは文句をいいますし、ここでは触れるだけにしますが「猫の恩返し」でもすこし、ヒロインの質感がかわります。

非公式ファンサイト
https://ghibli.jpn.org/report/the-ocean-waves/
「海がきこえる」では、中島みゆきの「傷ついた翼」をテーマ曲に使う予定だったみたい。

ふつうに歌えますけど、あれ、なんだろう、この曲、「時代」のB面でアルバムに入っていない。
それにしては、なぜ歌える?と調べてみると2枚組のベストアルバム「sigls(PCCA-00557)」を聞いていたからだ。

「海がきこえる」をみて、対抗心丸出しで宮崎監督がつくった「耳をすませば」が、まあなんというか、しっくりこない。もちろんわたしの感想です。

作家のヒロインもバイオリンの男子も、「海」のあとにみると浮世離れしてて、どこか違和感を感じます。そうおもいませんか?