劇中劇

日曜なので朝食をいつもより多めにとって床に寝転んだら夢を見ました。

寝ていて気がついたら夕方の16:34。ああ、日曜日なのに今週も全く何もせず寝てしまった、残念。と思ったところで目が覚めるという夢中夢。

夢の中で目覚めたのははじめてかもしれません。本当に起きたら12:15でした。

朝食後寝てしまったので昼食はパス。野菜の買い出しに出かけて、家に帰っておやつにパンを食べたら、今週は寝ていないだけで、事をなさずに終るのは、いつも通りでした。

あとは読書。

とうとつに福田恆存という人が出てきました。新潮文庫で読んだ「老人と海」はもしかするとこの人の訳かも。保守系の論客で翻訳劇作家で、ほかに読んだ作品はないかしらと調べてみたら

『ホレイショー日記』(槐書房、1979年)-限定200部+特装版5部

こんなのがでてきました。私が想像したのは「今日の犯人は手強かったです」というホレイショ・ケインの日記でしたが、たぶんそれじゃない。1979年ではCSIマイアミどころかマイアミ・バイスすらありません。

他にしたことは、地元の廃線の古い写真から現在位置を想像すること。田んぼと背景とレンズのミリ数から想像して、ここかなと。鉄道会社の所有した土地は笹の葉型に痕跡がのこっています。そのうち、駅と引込線があった部分は横幅が広い。のちに宅地になった場所は、家が整然と並んでいます。

笹の葉の尖った先のほうは、半分が鉄道で半分が田んぼで、航空写真でみると家のリズムが狂っていることが見て取れます。高台に向かう線路は土台が高く取られていたようです。上空から見て東側が鉄道の土地。おそらく廃線後盛り土を崩して西側の田んぼを埋めて平らにしたのでしょう。もと駅舎の南側はそういうわけで、東が鉄道会社、西が農家のもので、横並びの家が直線ではなくほんの僅かに角度がかわり、鉄道の面影を残しています。

今も残る橋脚は一本ですが、写真では二本あり下が道路になっていたようです。今残っているのは片方だけで、相棒の土台がどこにあったのか気になります。道路の下とすると、そこは強固なモルタルがあるはずで、排水管なりマンホールが避けているはずです。

あのあたりの土地のうちでも廃線跡のほうは、自転車で通ると平面率が他よりも高く感じます。昭和の早い段階でなくなったものですから、痕跡はほとんど消えていますが、消えたものほど気になります。近所なので確認しに出かけてもよいのですが、天気が悪いのとパンを食べたら眠くなったので現地調査は後日気が向いた時にします。

もうひとつ別の鉄道あとがあります。わずかにレールが残る橋は、ちかいうち廃線専門の写真家の写真集に載るそうです。写真の人は橋の銘板をみて、橋ができたのは廃線三年前と説明されていましたが実はこの橋、平橋にアーチを追加したアップデート版。平橋自体はもっと古いものです。写真の人はそこまで気がついていません。わたしも鉄道に詳しい人に教わったくらい。教えて差し上げようかとおもいましたが、世の中にはそういうのに詳しい方がたくさんいらっしゃいます。私が出しゃばることもないでしょう。