クロカンせぬ未来

先週、ちょっと大きめの古本屋に行きました。別冊太陽のスキー特集をみますと、板は材木で、ウエアは防水なんてなくて、リリースビンディングなんてない時代です。

アルペンもなくて、どこで板をかうのかしらとページを捲ると、日本橋三越の広告が出てました。

板は全部長く、むかし北海道民に聞いたところ長いほど偉いらしい。位かあがるほど伸びるコックさんの帽子でしょうか。

安全装置などなくても、ジャンプ台を飛び越え、動画を撮影するために8ミリを持ち込み、いまとやってることはさして変わりません。当時の初任給がいくらなのか未知の世界なので価格は見ませんでしたが、きっと高級品です。今みるとただの木の板ですが、ロウを塗れば立派なスキー板なのです。

昨年後半、長野の旅行で昭和30年代の山岳とスキーを嗜む画家とカメラマンとに当時の話を聞く機会を得ました。当時のスキーは庶民のものではなくて、相当な道楽だったようです。ゲレンデスキーが盛んになる前の話です。

自分のみてきたスキーは、現代も現代、最新のものです。靴は革靴じゃないし、危なくなったら外れるリリースビンディング以外を見つけることがほぼ不可能です。

20代後半の私は熱心なスキーヤーでした。一度だけ、リリースされないタイプの古い板を使う人を見たことがあります。あれはあれで、クラッシックカーを乗るような遊びなのかもしれません。

いまはもう寒くてスキーとは縁が切れました。いつかスノートレッキングか、クロスカントリースキーをする日がくるかもしれないと思っておりましたが、寒さは我慢出来ないのです。