抱えていた歴史の本を、まとめて古本屋へ移送しました。
本というのは、その存在に思いめぐらします。家にあるあの本があるなと、わずかながら脳みそが追想するのです。私は常日頃歴史に思いを巡らせておったのです。
そして私は無駄に消耗していたのかもしれません。家からその手の本がなくなった途端に心が軽くなりました。心を負に持っていくような本を家に置いては不味いのです。
たとえばウクライナ×ロシアにでてくる「プリゴジン」ってブラタモリで見た関ケ原の「小早川」なのかしらと思うのですが基礎知識がないのでそこは掘り下げられません。
だから考えなない!
これはこれで幸せ。
本を読まないほうが幸せ。
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新しい本を読むことにします。本は減らしましたけど増えます。
さまざまな分野のアンソロジーを読むことで、お友達になれそうな書き手を探しております。教科書に乗るような作家は文章が上手い。全員とは仲良くなれませんけど、読める範囲をひろげます。
ポプラ社の小学校高学年向けの教養随筆など、小学校依頼の縁が薄い分野へも目を向けております。面白い文章には技術があって、手練の作は対象年齢に関わらず面白いのです。
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本を捨てて、なぜか急に、自分に文を読む目がなかったことに気が付きました。そしてようやく好みの文章がどんなものなのかわかりました。
好みが明確になったので、これまで全力で避けていた読書ができるかもしれません。ヒューマンドキュメンタリーとか感動巨編とか。たぶん文章が性に合えばなんとかなります。「君たちはどう生きるか」は、めくった瞬間ダメかもって思いました。あれは作品の良し悪しではなくて、私との相性です。