自分のときは宇宙葬

親戚付き合いはお好きですか?私は苦手です。親類との集まりが苦手なので数十年逃げ続けておりました。苦手な理由も忘れるくらい逃げていたのですが、今年ひさしぶりに参加。

逃げていた理由がわかりました。話しの輪に加われないのです。親類同士の会話を聴いても、まったく内容が頭に入ってきません。たぶん家族の話と日常の話をしていたのだと思います。

会話をしたいであろう親類から見ると、中年の私は家族もおらず、子供の成長という親戚の会話でもっとも大切な要素が空白です。話しの接穂どころかきっかけすらないのです。お客様には大変ご迷惑をかけてしまいました。

お盆興行の三日間は以下の通りです。

一日目 長時間横で話しを聴いたけれど、会話の内容が全く分からない。忙しさと疲労から、記憶がありません。

二日目 近所の人と、非親戚の来訪者とすこし会話。ただし親類との会話の記憶なし。

三日目 もう無理。休養日。噂によると病気と孫の進学の話で盛り上がったようです。

とりあえず私は集まりの場では気配を消して配膳係に徹しておりました。なんとか乗り切ったけれど、果たしてこれで良かったのか。

お盆なんて面倒くさい仕組みは止めて、私のときは宇宙葬にします。樹木葬では存在が残るけど宇宙葬なら何も残らないもの。