直木賞恋歌と天狗党

【直木賞講評】浅田次郎さん「賞がねじふせられた」+(2/3ページ) – MSN産経ニュース
選考委員の浅田次郎先生のコメント。
>題材にしているのは幕末の水戸藩です。私も幕末ものを書くが、幕末の水戸というのは時代小説作家にとってかなりアンタッチャブルな世界

NHKでとらやの店主がでてました。資料を集めるなら、市内の老舗古本屋といえばとらやさんしかありません。とやらさんは昔二件あって、おじいさんがやっていたとは締めてしまいました。もう20年くらい前になります。当時は二件あって、一方のほうにとらや中川店の看板がでていた記憶があります。

小説の主人公中島歌子は、いいとこの娘さんが、行儀見習いで松平の屋敷に奉公。そこで見つけたいい男、林さんのところに嫁入り。それだけなら幸せなお話なのですが、嫁いだ先が水戸藩の、しかも天狗党。嫁いだ時点でだいぶ損をしています。中島さんは連座制でとらわれた牢獄ってのは、牢獄といえば聞こえがよろしいですが要は刑場です。NHKが写した牢獄跡はちょっと奥まった場所なので知らない人は見つけにくいと思います。車でくるとわからないですね。朝井さんはとらやさんの案内で刑場に取材にいらしたそうです。

地元なので場所もよくわかりますが、写真は撮りませんしネットにアップしません。写真でそこが刑場とわかると周辺の土地の資産価値が下がってしまいます。水戸市内の端っこのほうは特に刑場が多くて、ちょっと歩くといきあたります。赤沼だけで350人くらい斬ってるそうで、じゃあその処理はどうしてるかというと、どうしてたんでしょう。当時はISO9001みたいな認定制度なんてないから斬っちゃ放置してました。それでどうなるかというと、田んぼにするには耕すと骨が出てきて使い物にならず、家を建てるったって基礎工事でちょっと掘ったら出てきます。実質土地を耕すこともできずそのままとなります。水戸市が栄えて土地が必要になり、周辺の田んぼが少しずつ宅地化される中、その場所だけが雑木林のままだったり、ヘンな形でそこだけ開発の手から放置されたりします。

子供のときからそういう刑場だらけの町で生まれました。刑場のあるような場所は手つかずで、土地の高低差や池があります。自然が残っている男子的には非常に魅力のある場所です。なるほど、あの車のおもちゃを作って滑り降りた坂の頂上は刑場なんですね。かくれんぼをした場所も刑場で、サイクリングで通る場所には必ず処刑場があります。あまりに馴染んだ場所なのでなんの感情もわきませんけどね。

全国的に城下町は処刑場だらけだと思っていました。しかし、浅田先生が仰るように「幕末の水戸藩はアンタッチャブル」で水戸だけが特殊です。たとえばいま、天狗党の乱では短期間で350人も処刑してます。相当な一大事です。江戸時代の国内人口は推定で3000万人ですからいまの1/4。現在26万人の水戸市の人口も、水戸城下の住人で数えれば絶対に少ないはず。

江戸時代の水戸城下には何人住んでいたのでしょう?

toshisv.sk.tsukuba.ac.jp/thesis/H21_2009/inter/200411029.pdf

9000人。そのくらいの人口の町のハズレに処刑場があり、内部紛争で350人を処刑したらマズイと思いませんか?およそ4パーセントが処刑されます。100人いたら4人。25人にひとり。だいたい天狗党が大暴れしている途中で戦闘で戦死してる人が敵味方にいて、その戦闘ごとの人数を集計してみようと試みましたがあんまりにも多いのでうんざりしてやめてしまいました。後述しますが政治のシーソーゲームで処刑する側の人間が入れ替わりますからそのたびに敵味方で処刑の仕合をしますので、水戸藩は幕末において、おそらく数千の単位で人が人の手で斬られています。

私が知っているだけでも水戸の処刑場はスタンプラリーが出来るくらいあります。子供の頃遊んでいた場所がまさにソレで、高校に通うために自転車に乗って最短距離を辿ると高校に着くまでに処刑場を3ヶ所通過します。だから、霊なんかみえやしないんです。江戸時代から藩の伝統で内ゲバばっかりしてて、戦中に艦砲射撃と空襲を食らってますから霊なんぞ見えたら相当うるさいでしょう。

なんど読み返しても理解できない水戸藩の内部抗争。天狗党が改革派、諸生党が保守派。私も今ノートに整理してようやく理解できました。対立軸を明確にしてみますと

天狗党は徳川斉昭の側に付いていて、斉昭の背後には孝明天皇がいらっしゃる。
VS
諸生派は講道館の書生が名前の由来で、藩の門閥に頼った保守派であります。門閥とは要は親が藩の重要な地位に就いていると子供がそれなりの地位に就けるという政治家の世襲のようなものです。

もう一度、さらに整理してみます。

人材を求めて下級武士階層からも優秀なら人を採りましょうという徳川斉昭の改革派
VS
良いとこの師弟の諸生派。スネ夫的な、中央の江戸幕府にいい顔をしておきたいチーム

このような対立があります。私の先祖はもともと水戸の人ではないので藩の対立にぜんぜん関係ないんですけど、天狗党で処刑された人や藩の要職に就いていた人の名前をなんとなく観ていると、小中の同級生を思い出します。水戸の学校のことですから当然江戸時代と同じ苗字の子がいます。もしかすると、ポートボールで同じチームになってパス回しをしているあいつとアイツは改革派と保守派だったのかもしれません。明治維新から147年目です。25年で一代代替わりするとして現在6代目。さすがに水戸のみんなも忘れてみんな仲良くしていますけれど、たとえばこれが明治の25年くらいで爺さんが天狗党でアイツは諸生派だなんてまだ覚えていますから、場合によっては結婚するときに喧嘩になるかもしれません。水戸版ロミオとジュリエット。もういまはよっぽどの名家でもなければ先祖のことなんて忘れてますから、よかった。いまの水戸は平和で。

ここまで藩の内政が荒れたのは、斉昭が井伊直弼を要した幕府中央と対立したからです。斉昭が政治の実権を握ると改革派が台頭します。斉昭が失言で失脚すると、保守派が台頭します。保守派に権力が写ると下級武士から成り上がった実力のあるチーム改革派は家名を重んじる保守派に迫害されます。時間が経ち、斉昭が政治復帰すると今度は斉昭派である改革派が台頭し、家柄だけの保守派を迫害します。こんなことを繰り返していたので藩内の主権争いがずっとシーソーゲームに。結果、江戸末期に恨み辛みが募って改革派が爆発。武力蜂起したのが天狗党の乱です。天狗党の反乱は幕府軍により鎮圧されましたが、その遺恨は根深く斉昭がいなくなったあとの戊辰戦争で改革派のパックである朝廷側に権力強くなると、積年の恨み果たさんと改革派はまた保守派を見つけちゃあ一族郎党処刑していったわけです。そんなこんなで浅田次郎をして「水戸はアンタッチャブル」となったのです。

この話で私がわかりにくかったのは、勘違いしていたのは保守が尊皇攘夷ではないこと。天皇、すなわち朝廷を擁護する人たちは改革派であり、それは水戸の改革派で、幕府の改革派は開国容認で、尊皇攘夷の水戸の改革派とは対立すること。ふたつの改革派の違いをを理解することに非常に時間がかかりました。もっと早くノートを作れば良かった。

保守派である諸生派のショセイの意味がわからなかったからのも、理解を阻む一因でした。藩校である弘道館の書生を意味する諸生派は藩の学校に入るくらい親が要職に就いてるボンボンだと思うと理解できます。そしてボンボンは中央の江戸幕府にすり寄りたいので、当時の幕府は開国派の井伊直弼であると。

とりあえず、理解するには自分が斉昭の政治で抜擢された名もない下級武士で、天狗党に参加したと考えて、各内紛の流れを観ていくと理解できましょう。天狗党の林さんの嫁さんの視点でみたのが今回の直木賞受賞作なので小説を読むと一発でわかると思います。対立する出来事は一方の視点からみるとわかりやすくなります。激動の血塗られた水戸藩史を下地にした恋の話が直木賞だなんてなんだか不思議です。いやほんと血まみれなんだから。

朝井まかてさん「読者が作家にしてくれた」 直木賞受賞会見 – 本のニュース | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

中島歌子 – Wikipedia

桜田門外の変「情念の炎」のススメ 水戸藩士 林忠左衛門と中島歌子(明治初期の女流歌人で樋口一葉の師匠)

水戸藩の処刑場「赤沼牢屋敷」 と350人を超える天狗党の斬首  – いばらき解体新書。 – Yahoo!ブログ

天狗党の乱 – Wikipedia

諸生党 – Wikipedia

中野書店 古本倶楽部

菓舗もとや「吉原殿中」|illustration CARNELIAN
萌え絵がここまできた。吉原殿中の吉原ってあの吉原ではなくて、人名なのね。

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