構想の死角

例のNHKのドキュメント番組を見た覚えがあります。浪速のモーツアルトみたいな。河内長野みたいな名前の人。正確には佐村河内守で、現代のベートーベン。光を浴びると神経に触るので暗い部屋で薬を大量に飲んで作曲していることになっていました。

あれだけ薬を飲んで効かないならさぞ辛いだろうと心配したものです。私の心配を返して。

暗い部屋に閉じ籠もって不規則な長時間の作曲活動も取材者側に手元を見せくなかったからか。番組は女の子に曲を作るという設定だったと思います。とくだん感動はしませんでしたけれど、みんなこういうのが好きなんだろうなあと思いながら観ました。学校の教員とかこういうの見せたがるし感想文を書かせるんだろうなあ。そういう文科省準拠の清い心は幼稚園の砂場に埋めてきたので感想文を書かされると、18才で学校の教員を目指すような人がどんな感想文が好きなのか考えて書くという高度なテクニックをロウしてしまうので、小学生の私は疲れてしまうのです。

テレビ番組は先にオチが決まっています。オチに向けて作ります。たとえば、メガネにグラデーションがかかった長髪のおっちゃんが、遠目に見てちょっと怪しいなと現場で誰か気がついても告発はしません。カメラマンやディレクターが気がついてもそのまま制作は続きます。なぜならば彼らは番組のオチに繋がるための尺を稼ぐために一生懸命だからです。仕事というものは時に不法行為も容認するのです。

真実を描くより、虚構であろうなんだろうと、とにかくテープを埋めることが仕事なのです。だから気がついても気がつかないふりをするでしょう。

取材対象が制作側に好意的で、演出意図が理解できるならば共に同じ設計図でテレビ番組の完成を目指します。

嘘を含めてテレビです。

ゴーストライターの方がオリンピック前に告発して発覚。フィギュアスケートの高橋大輔が使う曲です。自分の曲が他人名義で全世界に流れるのはよっぽど悔しかったのでしょう。ショートプログラム用に編曲してあるからスケーターが急に曲を変えるのは無理。出来るのは作曲者のクレジットを換えることで、それもギリギリですから出来るかどうか。

刑事コロンボで、書いてない作家が覆面作家の相棒を消してしまう話があります。二人組の作家という設定は刑事コロンボのシナリオがWリンクとRレビンソンという二人組をモチーフにしています。監督は若き日のSスピルバーグです。この虚構の書かない作家のほうがなんともねちっこく、洒落物で河内長野のモーツアルトがいたらこんな感じの人になるのですね。

刑事コロンボ 3話「構想の死角」 : ブログ 刑事ぼろんこ





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