吉田調書

吉田調書 – 特集・連載:朝日新聞デジタル
福島第一から9割の人間が逃げたというけれど、逃げたことは仕方ありません。浜通は狭いのです。海と山に挟まれています。逃げるにしても北か南。船で海のある東には逃げられませんし西側は山に阻まれます。道路は国道6号1本きりです。当日は渋滞して動かなかったことでしょう。頑張って逃げられたのがさして離れていない南の東京電力福島第二発電所。中の様子を知っている人なら、いわきより遠く茨城を通り越して千葉以西まで逃げたかったはず。

私は国内最初の原子力炉で有名な東海村の近くに住んでいます。いざとなったら私も逃げねばなりません。生まれたときにはもう稼働していたので、拒否権がありません。せいぜい、誘致に関わった人の名前を恨みがましく覚えおくくらいしかできません。

東海村が吹き飛んだら、どうせ持って逃げられない」と思うから東日本大震災以来物を持たないようになりました。所有欲が薄くなりました。私は本をわりあい大量に買うのですが、本棚は持って歩けないことを悟ったので買う量を減らし、捨てる量を増やしました。結果、良い本を見極めてなるべく買わないようにしています。見極めの基準は東日本大震災の以後相当厳しくなりました。私に限らず、コレクターやマニアは物を選ぶようになったのではないでしょうか。地震を食らっていない場所の人にはない感覚です。

私は古本マニアでへそまがりなので、満州からの引き上げや、南方戦線の敗走の話をよく読んでいます。沖縄戦は辛いので調べないことにしています。身内に東京大空襲から逃げてきた先祖がいるので、非常事態に触れるたび人ひとりが運べる荷物の少なさを思い知らされます。いよいよとなれば携帯電話の容積ですら持ち歩くことは出来なくなります。

人間は現金なもので自分が逃げることしか考えられません。

東海地震が起きようと、南海トラフがどうなろうと知ったことではなく、自分に関わる東海村の事故だけが心配です。あと、茨城県沖から千葉県房総沖の地震。日本経済がどうなろうと自分が無事ならかまわない。そんな風に思っているのかもしれません。

阪神大震災のときはひとり暮らしをしていました。朝起き抜けに被害の空撮映像のおしゃれな街並みをテレビで見て自分の地元ではないことを確認しました。新潟中越地震のときは家電の卸をしている人が「こういうときはコノ家電が売れるゼ」と教えてくれました。半分酷い話だとおもいながら、それが売れるのかと感心していました。

東日本大震災直後は毎日地震で揺れ続ける日が2週間ほど続きました。ひと月経っても風呂に入れば毎回揺れます。まるでカーフェリーの風呂です。幸い断水は1週間ほどお収まりましたから文化的な生活を送れました。

自分の身に降りかかる不幸以外の不幸はなるべく考えないようにしています。自分が被害に遭って身にしみない限り、不幸を不幸として気にとめることはないんです。私の想像力のなさがそうさせるのかもしれません。いまからおもえば神戸、淡路、中越の人、北海道の礼文の人に思いをは馳せるべきでした。

東海村がなにかあったら、私はきっと逃げ切れません。身近な人に話をきくと逃げる気満々ですが、三年前の混乱をもう忘れています。道路は陥没し車高の低い車がひっかかり、幹線道路は全く動かなくなるグリッドロックを起こし、緊急車両さえ動けなくなります。橋の欄干は土台の杭が長いため、橋脚部分はそのままのこりますが斜めに上がる路面が沈降します。昭和の後半に造った道路で30センチずれました。市町村が管理する鉄製の橋脚は1メートルほどズレ落ちますから普通自動車は動けません。通れるのはメガクルーザーとバンパーのついていないスズキジムニー。いちばん確実なのは担いで持ち上げることの出来るマウンテンバイクと、山道を走れるオフロードバイクくらいになるでしょう。

茨城県の偉い人はきっとメガクルーザーに乗って家族と先に逃げることでしょう。県警のヘリもあんなものは半分私物です。県庁と県警は東海村から15キロほどの場所に構えているので遮蔽物がありませんからもし放射線がでたときは直撃します。災害対策本部はどうもそこらしい。県庁の上から東海村はよく見えます。東海村のバケツ臨界事故のときは、隣町が非常事態宣言だか戒厳令がでて車の走行と常磐線の運行が止まりました。

防災の拠点となる茨城県の原子力オフサイトセンターの地図を確認すると、原子力発電所により近い場所に立地しています。もう名前もオフサイドセンターにすればいいのに。このおしゃれな建物は地震で正面のガラスが痛んで使い物にならず。なんで那珂湊の十三奉行なんて場所にあるのか。被害がでたら10キロ以内になりますから、前哨基地だと思いたいものです。

東日本大震災の時、東海村の津波があと70センチ大きかったら電源タービンが傷んでいました。

茨城の東海村が福島の浜通りのあのあたりと違うのは、市街地が近いことくらいでしょうか。福島第一の電源消失後に車のバッテリーをかき集めましたが、東海村ならイエローハットもオートバックスもあります。津波被害で車が大量に流された日立港のモータープールがあります。船に積み込む稼働するベンツと日産の高級車が良く並んでいます。だから、電気が足りなくなることはなさそうです。

それと期待しているのは日立製作所本体が近いこと。電源車、バッテリー、その他の機材は持っているはず。ただ、頭の堅い組織なので、いざというとき柔軟に動くかどうかは未知数です。たぶんマジメな人が多いから、退避勧告が出た後どうやって工場を稼働させるか心配すると思います。このへんが笑い話じゃないことは地元の皆さんは気がついていると思います。

さらに心配なのは、隠し球のMOX燃料実験炉常陽です。こういう実験炉は優秀な人が沢山あつまる東京か、渡瀬遊水池あたりでやれば良いんです。東芝の実験炉も羽田沖にありまして、日本航空の逆噴射事件で落ちた飛行機と原子炉は、半キロほどのニアミスでした。いざというときは何とかなるんです。

いろいろ楽天的に考えてみましたけれど、やっぱり私は逃げ切れないと思うんです。

炉内干渉物対策PDF
頭のいい人が機械を作ってこじらせると直りません。筒の中で金具が引っかかることを炉内干渉物って言うんですけど、割と間抜けな状態です。

高速増殖実験炉「常陽」の事故とその重大性PDF
40億円で治るなら安いかも。

一般入札:「常陽」MARICO-2試料部回収装置等の製作 1式|入札データバンク
まりこの直し方は技能五輪の問題にして、世界の叡智を結集して解決して下さい。だいたい政府とか世論が「人類共通の問題」とか「叡智を結集して問題を解決」なんていうときは自分で解決する自信がなくなっているときで、もう遅いときなのです。

常陽のしくじりは戦艦大和を引き上げて波動法エンジンを積んでイスカンダルにコスモクリーナーをもらえたら、直せるかもしれません。ちなみにちびまるこちゃんのおじいさん役の初代富山敬、2代目の青野武はともに宇宙戦艦ヤマトの乗務員役を演じていました。3代目の島田敏は、おなじ宇宙船ですがサジタリウス号の船長です。