古本屋で、もう亡くなってずいぶん経つ作家の小説アンソロジーを購入。一緒にエッセイも。どちらも青空文庫で読めるのですが紙で読みます。古本なので表紙をはぐるとなぜかアパートの間取り図らしきものが描いてあります。たぶんこの四角いのは風呂場。エッセイのほうは最近大型化した値札を剥がすと、下から小さい値札を剥がすときにしくじった穴が出てきました。今日はレジの後ろに怖そうな社員がいて、バイトの兄ちゃんがどういうわけかレジの金額を間違えて打ち込んで紙ででた金額と違う金額でおつりをもらいました。レジを締めるときに問題にならないのでしょうか。
年末ヒマでしょうからぼちぼち読んでいこうと思います。私の好きな小説家が好きだと公言していた作家の本です。彼のことを三島由紀夫は嫌って居ましたが、マッチョと女たらしなら後者のほうが人間らしいような気がします。私の原点のさらに原点にあたるので本をめくって字面をみると妙に落ち着きます。漢字とカナのバランス、人の行動の描き方など良く見たリズムで描かれていて、なるほど、ここが父の父であり先祖にあたるのだなと、コタツのなかでおもうのでした。読む時間のことを考えると、今月本を買うのはこれで打ち止めになりそうです。
昔は近隣の本屋を総当たりでチェックしたのですが、新古書店の棚はすかすかです。今日行った新古書店も棚の配置が変って活字の本が浸食されていました。具体的に書きますと、中央のCD棚が拡大。新書の棚がマンガに食われて縮小していました。サイズにするとまえの3/4くらいです。代わりになんだかわからないカード売り場が増えていました。あれ、なんですか。紙じゃないですか。字の書いてある紙の束である本よりも、なにかのゲームに使うらしいボール紙のほうが高いのは信じがたいのですが売り場を見ている高校生のまなざしを見ていると本よりも優れた物なのかもしれません。子供にかってと言われたらただのボール紙じゃあねぇかと憤ること必至です。
本のほうがまだ価値があると信じているのですが、他人から見ればゲームのボール紙も本も同じ紙。紙なら重いほうが価値が高いと思うかもしれません。
古本屋の数は最盛期の半分ほどになってしまいました。2010年あたりに潮目が変って、ちょっと景気が良くなるとなくなる業態です。代わりに何が生まれたのでしょう。おそらく少子化の影響で本を読む世代が半分になり市場も半分になったのです。忙しい世代は本を読みません。それに、読書より面白い娯楽が沢山あるからそちらに時間を取られているのかもしれません。