自分を納得させる論文を書くほど暇ではない

小学校のときに「かけ算九九」を覚える前と、覚えたあとのことを思い出して下さい。

「なぜこんな簡単で当たり前のことが分からなかったのだろう?」と思うことがよくあります。できるようになったあと、できなかったときのことは忘れてしまいがち。

できるようになるまでの記録を取っています。スキーの時はメモもとらずに滑っていました。いまおもうともったいない。もっと学究的にスキーを滑ったらより面白かったろうに。

カメラスタビライザーを作ったときはメモとノートと構想スケッチだらけになりました。あのできなかったときの「ナゼできない」感は、できてしまうと儚い思い出。去年の中盤にイベントに出て以来、向学心を失ってしまったのでカメラ機材作りから離れています。

映像つくりをするの?と自問自答しつつ、やっぱり絵をつくるには論が必要で、論を組立てるにはインプットが必要だからまず読書だなと、冬至以来本ばかり読んでいます。今読んでるのは大学生向けの整理術とか論文の書き方の本で、どうしていまさら論文の書き方を勉強しているのだろう。自分でも謎。

映像に限らず、なにか作るときには基礎になる考え方が必要です。映像を作るかどうか別にして、まず表現の元を自分の中に探すというなんだか遠回りな方法を始めてしまいました。「外に出て何か撮れよ」と言われそうですが寒いから家にいるのよ。

連休の最終日はすこし寒かったので散歩もせず寝てました。

正月から10日まで、資料を読んで考えていることをノートに整理。遊びでも仕事でも「方法」を変えるときには脳みそに負荷が掛かるので、そのしわ寄せが今日の昼寝。体調はすっきり。アタマの中身も整理してみれば長文を書いた割にはハガキ三枚分程度のメモにまとまりました。

いまみると、そのメモは腑に落ちます。メモの元になる文章の日付は9月。そのとき、いまの納得がなかった。三ヶ月、やっと理解できたかもしれない。

考えを整理して自分を納得させるのは大変です。自分のことはよく分かっていますが、自分と自分で考えるので必ず死角が生まれます。他人の視点があれば死角を見つけてもらえますが、ひとりで考えていると理解力が充分身について、あるとき突然分かるようになります。

習い事の場合は適確に指導できるひとに付くと延びが速い。私は考え方の途中がかなりへそ曲がりなので、相性の合う合わないが激しく参考書を買うときにそりの合う著者を捜して苦労しています。今回は大学生向けの論文指導の本を買いあさっています。やっぱり合う合わないが激しくて、いまはようやく見つけた2冊を読み込んでいる途中です。

はて、論文の書き方の本を理解して、私はなにがしたいのか。何をするのか自体を自分に納得させるために論を書かないといけないのか。ずいぶん面倒臭い人であることよ。





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