水戸で知性探求す

家を出たとき、寒かった。ウインドブレーカーとシャツのみで市街地へ向う。冬の日差しに騙されながら駅に向うと予備校が解体準備中。水戸駅周辺の大学受験予備校も今は昔の面影がない。筑波ゼミナールは名前だけ残り自習室に看板が残る。水戸予備校は私が高校を卒業した頃に潰れて生徒を他校に分散させた。渋谷ゼミこと智森学舎は生徒が桜川でひなたぼっこをしたり、エントランスに人が溢れていたけれど、いまは建物の周りに解体用の囲い足場が組まれて解体の準備が進んでいる。

水戸の上市、南町に行きたい。常磐線を越える方法をふたつ考える。いつもなら何も考えず文化センター前まで進み、千波湖経由で千波大橋に入るのだが、いまその通り走ると鳥インフルエンザの警戒領域を踏むことになる。だから右に折れてホテル街の連結歩道で途中から橋に入ることにした。気を遣うのである。

スポーツクラブから直進すれば簡単だが遠目に職業婦人が配達されるのが見えたので、いちど大通りに向い彼女らとの遭遇を避けた。こんなところにも気を遣うのである。

橋から見下ろすと水戸駅前南に向う岩間街道予定地は水が溜まっていた。隣に揚水機があるくらいだから、ここいらで1番低い土地なのだ。

共同病院をすぎていよいよ大通りにでる。自転車の鍵を忘れたので自転車屋で購入千円也。店主がなにやら自転車を調整中。入口のドアは震災の影響か隙間ができている。

用事を済ませて京成百貨店の丸善書店へ。駅前にも書店があるが、ここがいい。年齢層高い。ちくま文庫はうまい具合に文庫にする本を見つけるのだが、千四百円なんて単行本のような値付である。私が高校生のころ古本屋で買っていた昭和35年の文庫本は定価が二〇〇円くらいだから、単純に七倍か。文庫化が早すぎるのではないか。ネットで単行本を買った方が安い計算である。

帰る。途中パン屋二軒に振られる。寒いけれど遠くのスーパーでパンを買う。もっと近くにスーパーマーケットがあるのだけれど、なぜか遠くのストアに向ってしまう。

どうして遠くに行くのだろう。

本屋の品揃えと同様にスーパーマーケットの品揃えにも相性があるからか。映画と戦記とその他もろもろの品揃えが手厚い水戸丸善。ただスーパーマーケットはべつになにかが優れているわけでもない。昔近所に系列店があって、棚の配置がおなじみだから遠くても構わないのかもしれない。有機的に分類された棚には知性がみえる。丸善書店にそれがあるのは当然であるが、スーパーの棚にも知性があるのかもしれない。

するってぇと、近所のスーパーマーケットに足りないのは何だろう。