大正時代の生きにくさを想像する

買って本棚に入れておいた本がでてきた。汚い背表紙の下が削れたような本で、英雄の本だとおもったら、どうも禅の本らしい。カバーがなくて、下地の背にある「禅」を「譚」と見違えた。

漢文仮名交じりで「英雄は必ず禅の境地を開いているんだぜ」って内容。気合いで敵がひるんだとか、そういう居住まいの話です。勝てば官軍なのさ。

最後のまとめに「美女がいて、奴らが鬼だから欲しく無いなんて思うんじゃないぜ、欲しいけれど要らないという境地になりたまえ」とある。すごい境地。

大正4年の本で1円何十銭という単位でまず漢数字がよめない。折り返しに昭和18年に神田神保町で買ったとあるので、前の持ち主も古本なんだろう。蔵書印があって神保町の書き込みの人は中国か台湾人っぽくて名前が読めないし本文の書き込みはヤケに達筆で判読不可能でした。

よくあるお話で出てくるのは有名な人ばかり。そして総ルビ。もしかすると日本に留学してきた台湾人、そのころ日本の統治下でしたからそんな学生が勉強ついでに手にした本なのかもしれない。坊さんかなあ。途中禅と宇宙エネルギーの話をしてるし、書いた人はほかにロシアのアナーキストの評伝を書いてまして、大正時代のインテリ向けのオカルトなのか。

自分とはなにものなのかに答えてくれるものが、大正から昭和初期にかけてなんだったのやら。自分を確立するための「すべ」が、いまほど多くなくて外国から来る哲学やらの観念や概念を使ってみるか、昔ながらの宗教に向くかいずれにせよきっと今より生きにくい。

造本は良いね。本郷にある出版社と版元はきっと関東大震災と空襲で焼けてる。読むと疲れるので、また本棚に戻します。