話はだいたい伝わらない

固有名詞を知っているような気がして、でも曖昧なとき。若いときは知らないことを恥じたけれど、いまは知らないことを曖昧なまま知っているような気がして、曖昧なまま話を進めようとしてしまう。そんな現象が悪化すると、いわゆる年寄りのよく分らない話や、聞くに値しない話ができあがる。

先日番組と時間帯と曜日を書きませんけどどこかの保険会社の社長が出てきて、ラジオのスイッチをそっと切りました。

あのおじさんのお話が聞けなかったのは、おじさんは普段と同じつもりで話しているのですが、その普段の姿が見えた途端気持ち悪くなったのです。なんというか、要点のない話ってありますよね。質問にぼやけた答えをするとか、予め決った言いたいことを言うだけの返答とか。

きっとふだんあの偉いオジサマは会社でみんなに話を無条件に聴いてもらえてご満悦なのです。その姿が手に取るように分って、そしてその話の要点の無さにと耐えられなくて。

言葉を表すときにいろんな派閥があって流派があります。わたしは「伝わらないことを恐れる派」なので、「伝わって当然」とおもう派とは対立してしまいます。

「伝わって当然派」は、車のリアウインドウに「絆」ってシールを貼ったりするので、どんどんやって欲しいと心の底から願っております。