四半世紀ぶりの進入

茨城大学の敷地に入りました。センター以来。茨城の戦争遺構についての講義を聴いて参りました。県内に遺物がけっこう沢山あります。

茨大の近現代史ゼミは県内の戦争石碑を調べてて、大面の中心。小さい神社の奥の方に、勢い地元の人が作って戦後コンクリで八紘一宇を埋めたちいさい碑をときどきみかけます。さすがにそこまでは調べてなくて、まあふつうそこ見ないかあ。大学生が急にこの課題を研究対象にすると、戦争自体が見えてこないから大変だったでしょう。

私は茨大には学力が絶賛足りなくて入れませんでした。県外の山の上にある私立の大学に入りました。たまたまそんなの知らなくて進学しましたけれど、ゼミとか教授陣の結構な割合が学徒帰還兵なのでした。だから戦時中というものが地続き。平成生まれとは違って昭和生まれの私には戦争が地続きです。

あのおじいさん教授たちは、大学生の徴兵猶予期間を経て徴兵されて南方に行ったり中国東北部で抑留されたり散々な目にあってて、ひとりは全く戦中の話をしませんでした。言えないほどのことがあったのでしょう。当人になくても見聞きしてます。そこはインテリかどうかに関わらずツライものはつらい。

講義の話に戻しますと、風船爆弾を作っていた将校に、地元の保存研究をする方が連絡を取ろうとしたらすげなく袖をふられたそうです。なんど試みても門前払い。京大の哲学をでた将校といいますから、哲学が大好きだったかもしかすると大学生の徴兵猶予を狙っての入学か。学部によっては倍率がイチ以下といわれてます。