風景と場面の描写について

あまりに寒いので、日曜ですし午後は布団で寝てました。

電気毛布があったかくなくて、もしやと思い布団と敷布のあいだに断熱シートを挟んでみると急に暖かい。外気が寒くて敷き布団経由でずっと熱を吸われていたみたい。

寝転がって読書。数学の本は見たくなかった。いますこし読む。学校の教科書の説明が足りないという指摘。説明が足されても、改善されても私には理解できなさそう。おのれ関数と思う。

ラジオ番組石丸謙二郎の山カフェ – NHKにて、「山と渓谷社」出身のライターが、風景描写について大岡信の言葉を引用してました。見た風景を言葉に置き換えるときに、感情ではなくて見たものを書こう。その表現に工夫すべしとのこと。写真の取り方も、似てるかもしれない。つねづね、悲しいときにかてしい人の顔を写してしまうことに疑問を感じていました。テレビ局はよくやります。表現というものは本当にその一つの方法だけが正しいのでしょうか。見るたびに「テレビ的だなあ」とうんざりします。

いまこそ読みたい山の本が見つかる! | PEAKS
山はとんと登りません。自転車で走るときも坂を避けて走ります。でも山の本は読んでます。

なぜ読むのか?登らないないからが理由のひとつ。ふたつめは、人があまり出てこないこと。またスケッチ的な文章が多くて、わたしには気楽に読めるからです。

人がたくさん出てきたり、その人たちの愛憎劇とか、主観の強いものは読んでて困りませんか?ふつう困らないのか。

主人公の気持ちを次の4つから選びなさい。私は困りました。

ノンフィクションが好き。国語の説明文を読むのは今でも好きです。対極にあるのはなんだろう?と考えたら、暫定的ではありますが「少女マンガ」か。細分化されて現代のものも含めると分類しきれませんが、女性主人公が葛藤することを主に描くのが少女マンガと考えております。いや、女性向けのどろどろした何かがと置き換えましょう。そういった小説なりマンガ、朝の連続テレビ小説のドラマは主人公がずっと葛藤していて、困ったり苦労する描写がくどいので苦手であります。ライバルとの葛藤とかどろどろしてます。

わたしは淡々としたものが読みたいから山の本を読みます。

行為で状況を説明する散文が好きなのかもしれません。今日読んだ本では、映画評論家の淀川長春先生の初期エッセイがとても好ましかった

場面の説明が映画的でした。映画的の理由が、おそらく主人公の感情ではなくて場面の説明に注力しているため。そう、大岡信のおっしゃっていたことの実践です。カメラのような視点で人の動きをスケッチしてます。淀川先生のエッセイでは、先生がどう思ったか主観の描写は最小限です。それがあっさりしている理由であり私が好きなのはこちら。

背景にバラの花が咲いていたり目がキラキラしている止め絵で表現するものに、わたしは圧倒されて言葉を失うのかもしれません。重すぎるのです。