流派

大岡山で、わたしの作ったスタビライザーと、となりのスタビライザーが似て非なる形だった。
「なぜ?」
と問われて苦し紛れに答えた。
「流派が違うんです」

我ながら的を射た答えだった。かたちには意味がある。おなじ意志を伝えるのにひとそれぞれ言葉が違うように形が違うのだ。その違いは「流派」だ。

スタビライザーへのカメラの置き方、バランサーの有無、カメラステージのプレートの大きさ、カメラの取り付け方法がひとそれぞれちがう。似たような工作機械をつかっても作るひとの考え方ひとつでぜんぜん似ても似つかないものができあがる。

私は部品はどんどん減らす。バトルプルーフとフールプルーフを徹底する。工具だって普通のしか使わないし、本人思うに「普通のMaker」なのだけれど、できたものをみると、世間とちょっとずれてしまう。そのズレは私の本性なので仕方ない。

野っ原で部品をなくすと悲しくなるので部品を削ぎ落とす。これがバトルプルーフ。最終的にはもう減らすものがないくらいまで部品がなくなる。だから、もしかすると真似しにくいかもしれない。ムクのパイプを曲げたりしてるので、一般受けはきっとしないだろう。ふつうはさあ、組み合わせるとできますみたいなのがいいよね。真似しやすいし。