佐原にある歴史博物館を見てきました

先日千葉県佐原にある歴史博物館を見てきました。

佐原レポです。

この施設に以前行ったのは高校の遠足のとき。それ以来なので15年ぶりです。当然のように常設展示は無視して、鉄砲ばっかり見てきました。いいですねえ、古式銃の世界。歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで

歴史って「お前それ知らないのかよ?」って偉そうな学問なのでワタクシ知らないものは知らないのですが、アメリカのコルト社の製品年表は頭に入っています。まず、黒色火薬は中国が発明してヨーロッパに広まり、火縄から、フリントファイヤー、ニードルファイヤーと変化します。その後雷管を使う方式が生まれ1850年代になって現代型のいわゆる薬莢が普及します。

大砲や銃床の作り方がチビッコにもよくわかるように展示されてました。古文書やマニュアルも豊富で、射程距離とドロップ率の計算表や動物のどこを撃てば肉がうまいかとか馬に乗ってる奴は腰を打てとかそんな古文書が並んでました。古文書ゆえ解説がないとなんだか分かりませんけど。

私は鍛冶屋のヤットコとか玄翁がツボでした。

和鍛冶の道具類は見ているだけで味があり、作った人の手の大きさや考え方が見てとれます。鉄砲鍛冶屋は殿様向けに象嵌を入れたり金物に凝ったり楽ませてくれます。明治期になり実用銃が増える以前は半分工芸品扱いだったのでしょう。

江戸幕府が倒れるとゲーベル銃が幅を利かせ、工芸的要素はすくなくなります。日本の鉄砲鍛冶は海外から入ってきた技術をコピーしオリジナルの拳銃や小銃を作ってましたがこと産業としてはこの辺で終わりなのでしょう。以降鉄砲鍛冶は自転車を作ったり違う道にすすんだのだと思います。

オリジナル小銃はみようみまねで苦労した跡があり、昔からこうゆうのに凝る人は居たんだなと理解できます。歴史の中の日本と今の日本は大して違わないのでしょう。

ちなみに博物館は城跡です。当然のように外堀をたどって歩きました「俺ならここで守る」と現場検証。なかなか堀が深く攻めにくそうです。満喫して帰宅。

長距離運転が久しぶりだったので都内まで戻り6号で帰りました。

田舎モノには三車線で左右から追い越されるのが怖くて、都内をぐるぐる回ってしまいました。兜町の東京証券取引所は意外に小さく、日本橋はこのまま高架の下でいいような気がします。どうせ車しか走らないんだから。

==訃報==

東大名誉教授の渡辺洋三さん死去
東京都内の病院で死去した。84歳だった。葬儀は親族と親しい友人で済ませた。自宅は公表していない。

ゼミの教授が。リベラルの雄だったので、お葬式も小さく済ませたのが教授らしいです。いまおもえばずいぶん贅沢なものの教わりかたをしたと思います。

今日の読書

それは火星人の襲来から始まった―現実を侵略するヴァーチャル・リアリティの脅威
サイバースペースについて、文系が感想を書くとこうなる。洒落がきつめなので好きな人は好きかも。俺も嫌いじゃないけど。

AMステレオ放送が終了
誰も聞いてないもん。テレビも同じようにテレビ放送がなくなるかもね。デジタル放送がむしろ終了してくれればいいのにね。テレビの映らない田舎の人が困る?

今日はナベ。

陽気が良すぎて豊作になった白菜を買いに行きました。スーパーではなぜか売り切れ。八百屋で一個買いましたけど一人暮らしではそんなに食いきれないと判明。

小分けして食べてます。今日は初日でしたのでポン酢で食べてました。明日はミソ仕立て。その次はしょうゆかキムチで味付けて最後カレーかな。春菊とカレーは意外に合います。

ルパン&峰不二子の愛車を製造

赤いジャケットを着てステアリングを握って向こう側に倒れたい。

とりあえずバンパーの構造はあれまずいんじゃねえか?道路運送車両法か何かでむき出しタイヤは禁止でないの?でもフォーミュラーカー(F3000)を車検通した人が要るんだからいけるか。

ガレージリボン のサイトをみるとナンバー付いてますぜ旦那。

あの車に乗るのは結構大変で緑か赤か朱鷺色のジャケットをきて、となりに髭の相棒と武士を乗せればなりません。柳生さんの奥さんと増山さんは無制限に乗車できますが、その他の女子はミニスカ限定でしか乗れません。太ももにブローニングを入れねばなりません。パトカーを見たら逃げなきゃならないし、真っ二つにきらなきゃならないし維持するのが大変