防災の日を忘れる

去年の東日本大震災の記憶が生々しすぎて、9/1が防災の日だってことをすっきり忘れてました。メディアが急に脅かして来たのでどうしたのだろうと思ったら、関東大震災の日だったのですね。

出先でNHKを見たら、相変わらず都内の密集陣形が火災に弱い話をしていました。相変わらず、東京のメディアは東京の心配しかしていないことに驚きました。きっと、自分たちは中央で、下々の地方もこまるだろう、お前たち俺を助けろ、助けにきて当然だという傲慢さを感じました。東京は優秀な人がたくさんいるのですから、自分たちでなんとか頑張っていただきましょう。

水戸は震度6弱で橋という橋が落ちかけてます。物資の輸送は大変でした。東京有事の際は橋と、狭い道路が建物の倒壊でダウンするため助けに入れそうにありません。都内の東側が非常に心配になります。

仙台の造成地の地滑りも問題になっていました。多摩地区も、造成したのが昭和の30年代ですから地盤が心配です。

時代の経過で「古い造成地」ほど地盤が固いと考えていたのですが、ふるいほど弱いそうで、昭和の高度経済成長の時代に山の斜面を削って作った地域は当時の緩い基準で造成しています。地滑り対策が考えられていないそうです。たしかに造成してる時に10年20年先の未来を見ていません。まさか50年後に地震がくると思っていませんから、地下水や伏流水の対策など考えてもいなかったでしょう。そんな場所は、ちょうど仙台駅から5キロ以内の西側にあるそうです。

私が想像できるのはこの辺まで。三連動の津波など、考えてもどうにもなりません。絶対に車で逃げるなといっても逃げるのでしょうし、橋の継目に乗り上げたシャコタン乗用車が立ち往生して後続がつまって、もうそうなったときは進路も退路もありません。東京大空襲の教訓は今の80代以上しか持っていませんので伝承されず、また繰りかえしなのでしょう。

防災対策は隅田川沿いの高層アパート群を防火壁にしたことと、都心に防災のための広い公園の整備したことくらいでしょうか。

たしか札幌は大火事が起きて、類焼を防ぐ仕組みとして大通り公園を作ったと聞きます。
21.端午の節句、正午ころ出火-北区大火災/札幌市北区

もともと大して興味は無かったのですが、サイクリングをし始めて、歴史的建造物を目にするようになってから建築と歴史に興味を持つようになりました。自転車はバイパスよりも旧道が走りやすく、古い街道を走ると古い建物に出くわします。自転車での現地調査と、ネット上の歴史資料を使うことで町移り変わりがわかり、都市計画が見えてきます。

私が良くいく那珂湊や石岡など、昭和までたどるのが精一杯で明治まで遡るのは難しくなります。水戸も同様で、古い街並みはほとんど残っていません。
Joukamachi Mito no hensen
水戸の泉町。名前の由来は火事避け。そのくらい火事が多かったのです。

火災で街の様子が変わっています。だから、地元で古い建造物なんてほとんどありません。地盤が弱い上に地震があり、大火で燃えて漢方射撃と戦災で焼けてます。弘道館という水戸藩の学校がありまして、「水戸学」と言う厄介な学問の資料も戦災で焼けてます。資料が残っていたら第二次昭和維新とかいって水戸の人はまた攘夷運動に明け暮れていたでしょう。

歴史はどこか見えないところで残っていて、その土地の文化を形作っています。
那珂湊大火
那珂湊市街地歩き

弘道館公園 | 茨城県営都市公園オフィシャルサイト
戦災の前に、幕末の内紛で燃えてるのね。

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