爆笑問題のバクモンで料亭と芸者さんがでてきました。大ねぇさんと呼ばれる踊りのベテランのおばあさんが二人でてきました。和服が自然に身についているのは花柳流家元の踊りのお師匠さん。このおばあさんが太田のボケに適確に突っ込んでいて、知性とユーモアの質に感心しました。そして、この間合いはどこかで見聞きしたことがあるぞと。
花柳界のまわりに居た人が知りあいにいるのですが、やはりこの人のユーモアのセンスは独特でした。その人はできの悪いテレビ番組をみると必ず貶していました。どうしてなんだろう?今思い出すと、その人の思うユーモアは昭和も初期の笑いで、昭和の後半に大衆化したテレビの下品な笑いがその人には許せないものだったのでしょう。
一流の男が来る世界に居た芸者さん。その芸者さんと若い頃関わる仕事をしてたその人は彼女たちのよき話相手でした。そうなると冗談のセンスは芸者さんに近く、ひいてはその向こうにいる男の質と比例したのでしょう。それじゃあ、タダで見られるテレビの質では満足しないわけです。
力で笑わせるもの、見た目で面白い風を装うもの、韻を踏んだだけのだじゃれなんかは歯牙にも掛けず構造として面白いものだけを評価していました。それを見ていた私も影響されて、できの悪いジョークは笑わないことにしています。これはたぶんその人の影響なんです。そう。人のせいにします。
大ねぇさんの頭の回転の速さと、受け答えの間合いを見てたからひさしぶりにその人のことを思い出しました。